変わった味の

「あかりー」
 自分を呼ぶ声に振り向くと、ヒカルが通りの向こうでおいでおいでをしているのが見えた。
 授業中にシャープペンシルの芯が切れそうなことに気づいて、それと気になっていた小説の続きがもう発売されていることも思い出して、私は学校から真っ直ぐ家に帰らずに駅前の商店街まで来ていた。
  今日寄り道する用事を思いついた自分を偉いと褒めながら、ヒカルに向かって駆け寄る。
「よう、久しぶり」
「うん、久しぶり」
 弾んだ息とはねる鼓動に胸を押さえながら、片手をあげたヒカルを見る。ヒカルはスーツとかじゃなくていつもの普段着だったけれど、大きなスポーツバッグといくつかの紙袋を持っていて、なんだかとても大荷物だった。
「旅行に行ってたの?」
 紙袋がいかにもお土産が入ってそうな柄だったのでそう尋ねると、ヒカルはちょっと顔をしかめた。
「仕事だ仕事。地方のイベントに駆り出されたんだ」
「そうなんだ」
 相変わらずヒカルは忙しくしているみたい。だけど、疲れたなんて言いながら楽しそうな顔をしているから、私は安心してほっと息をついた。大丈夫、ヒカルは元気だ。
「どうしたの?」
 なにやらごそごそと紙袋をあさりだしたヒカルに声をかける。ヒカルは顔を上げずに紙袋をのぞき込んだまま答えた。
「いや、あのな。おっかしーな、ここに入れたと思ったんだけど」
「ヒカル?」
「悪い、ちょっと待って」
 そうして紙袋とバッグをかきまわすこと数分、ヒカルはようやく目当ての物を見つけたらしく、あったあったと声をあげた。
「ほい」
「え?」
 ヒカルが投げて寄越した物を慌てて受け取める。けっこう大きめの四角い紙の箱はとても軽かった。
「なあに?」
 尋ねながら手の中の物に目を落とすと、それはお菓子の箱だった。薄くチョコレートがかかった細長いビスケット生地というそのお菓子は、スーパーやコンビニで私もよく買っているものだったけれど、ヒカルがくれた箱は少し変わっていた。ずいぶん大きいし、表面の印刷には限定の文字が踊っている。
「お前、それ食べたいって言ってたろ?」
 ヒカルの言葉に私は驚いて、思わずヒカルの顔をまじまじと見つめてしまった。
 確かに、そんなことを言ったことがある。あれは、あの時も、こんなふうに道でばったり会ったんだ。
 あの日私は友達からの旅行土産としてもらったお菓子を胸に抱えていた。今日ヒカルがくれたのと同じ種類のお菓子で、夕張メロン味のチョコがかかった北海道限定のものを。
 ヒカルが、いつも食べているのよりずっと大きなそのサイズに驚いて、なんだそりゃって言ったから、私は、今は地方ごとにいろんな味があるらしいよって答えた。
 そして、他の地方のも食べてみたいよねって、確か私はそう言ったんだ。
 確かに食べたいって、そのとき私は言った。けれど、でも。
 あれは、もうずいぶん前のことだよ? ヒカル。
 それなのに、覚えててくれたの?
 仕事で行ったところなのに、お菓子を見たときに思い出してくれたの?
 私があんまり長い間黙っているから、ヒカルが気まずそうに頭をかいた。
「違ったっけ?」
「う、ううん。食べたいって言ったよ。ありがとう、ヒカル」
 慌てて首を振ってお礼を言うと、ヒカルは頭をかいていた手を下ろして笑った。
「そっか」
「うん。嬉しいよ。ありがとう」
 お菓子の箱を抱きしめて頭を下げると、ヒカルは大げさだなと少しあきれたように言った。
「進藤ー」
「今行くー」
 少し離れたところからヒカルを呼ぶ声がして、ヒカルは首を回してそれに答えた。
 見ると、ヒカルより少し年上に見える男の人たちが何人か、ヒカルみたいに大荷物を抱えて立っていた。
「じゃあ、俺行くわ。まだ用事残ってるから」
「あ、うん。お土産ありがとう。お仕事頑張ってね」
 じゃあなと紙袋とバッグを持ち上げて駆けていくヒカルの背中を見送って、それが角を曲がって見えなくなると私も回れ右をして家へと向かう。
 胸に抱えたお菓子は神戸限定ワイン味。
 自分で神戸で見つけてたなら、買わないかもしれない。
 でも、家へと向かう私はずいぶんと急ぎ足になっている。
 だってすぐに食べてみたいから。そしてヒカルにおいしかったよって、言いに行きたいから。

終わり

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