特別の理由

「じゃあ今度の日曜日の九時に迎えにくるからね」
「了解」
「で、お金のことなんだけど」
「いらねえって言ったろ?」
「だけど」

 納得しかねるという様子のあかりに、どうしたものかとヒカルは腕を組んだ。

 あかりの入った高校には囲碁部がなかったので、あかりは中学の時にヒカルと筒井先輩とやったように有志をつのり、とりあえず同好会として囲碁部を発足させた。あかりはずいぶんがんばったようで、すでに六人も所属しているという。このまま三ヶ月間活動の実績を作ることができれば正式な部に昇格するのだそうだ。
 それで活動の一環として、今日あかりはヒカルに指導碁の依頼に来たのだが。
 中学の卒業式でそんな話がでたときも、ヒカルは依頼料なんていらないとそう言ったのに、まじめなあかりは、やはりそういうわけにはいかないと思ったらしい。
「ヒカルはちゃんとしたプロなんだから」
 真っ赤な顔をして力説する。
 最近では雑誌やテレビでヒカルのプロとしての活躍がとりあげられる機会が増えてきたこともあって、あかりは気を遣ってくれているらしいのだ。
 相場はいくらかとなおも尋ねてくるあかりを前にヒカルは頭をかいた。
 相場はもちろんあるにはあるが、あかりから金をとるわけにはいかない。そんな気にはなれない。
 どう説得すれば納得してくれるのかと困り果てたヒカルの目に、ふと碁盤の上の扇子が映った。
「金はいいよ」
「でも」

「いいんだよ。お前は特別なんだから」

「え?」
 目を丸くするあかりにむかって、ヒカルは口の端を上げてにっと笑った。
「オレとお前は兄弟弟子なんだから」
「兄弟弟子?」
 怪訝そうに首をひねって、あかりはしばらく心当たりを探っていたが、やがてああとうなずいた。
「ヒカルもわたしも最初は白川先生に教わったんだもんね」
 あかりは近所で囲碁教室を開いているプロの名前をあげた。ヒカルが行かなくなってからもあかりはしばらく通っていたらしい。懐かしく思い出したのか、あかりの表情が柔らかくなった。
「だから、いいんだよ」
「いいの?」
 それでも申し訳なさそうな様子の抜けないあかりに笑ってうなずく。
「いいのいいの。特別、特別」
「兄弟弟子だから?」
「兄弟弟子だから」
 やっと笑ったあかりにヒカルもやっと安心できて、もう一度うなずいて見せた。

 兄弟弟子という言葉で思い浮かべている師匠の顔は、実はあかりとヒカルでは違うのだけど。
 あかりと碁盤をはさんで座るそのたびに、烏帽子の下で目を細めていたその人に、ヒカルは心の中で片目をつぶった。

終わり

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