古いアルバム

「ほら、あかり。早く門の前に立って」
 カメラを手にした父親が、真新しい制服に身をつつんだあかりをせかす。
「学校の名前がよく見えるようにね」
 父親の隣に立つ母親も、手を振って立ち位置を示す。
「恥ずかしいなあ、もう」
 高校生にもなって、入学式に両親が来るのもどうかと思うが、さらに校門で学校名と共に写真を撮るなんて、他に誰がしているだろう。
 ぶつぶつ言って、ほほを染めながらではあったが、あかりは逆らわずに写真におさまった。
 入学式には校門の前で新しい制服姿を写真に撮る。幼稚園から続いた藤崎家の伝統行事であったから。
 
 出来あがってきた写真を前に、あれでもないこれでもないと、楽しそうにアルバム作成にいそしむ両親を横目に、あかりは両手に持ったココアのカップに口をつけた。
 少し前ならあかりも、二人に加わってアルバムにはる写真を選んでいた。何しろ二人の基準は「写真写りの良さ」ではなく、「おもしろさ」なので、あかりにとってはちょっと恥ずかしい写真が選ばれてしまうこともあるのだ。しかし、今ではもう好きにさせている。結局アルバムはあかりの為のものではなく、両親のものとわりきることにしたからだ。
 ようやく写真は決定したらしい。今度はレイアウトに頭をなやませている父と、写真に添えるコメントを考え始めた母の様子に少し渋い顔をして、二口目のココアを飲み込む。
 二人とも特に写真が趣味というわけではないのだが、娘の成長記録だけは別らしい。赤ちゃんのときから飽きもせずに娘の成長を記録しつづけている。それこそ「初めてのお風呂」とか、「自転車に乗れた日」なんてのもある。今度の写真が収められるアルバムで何冊目になるのかと、一瞬考えようとしてやめる。あかりの部屋の本棚のかなりの部分を占めるそれらは、とりあえず「たくさん」あるのだ。

「ああ、そうか。ヒカルくんがいないんだな」

 唐突な父のひとり言にでてきた幼なじみの名前に、あかりは最後の一口が残ったカップを口元からはずした。
「どうしたんです? いきなり」
 コメントを書きながら尋ねた母に、父は写真を指差しながら言った。
「いやな、何か少し物足りないような気がしてたんだ。あれだな、ヒカルくんが写ってないんだよ」
「ああ、そうねえ。ずっと一緒に写ってもらっていましたもんね」
 そのまま昔話を始めた両親を背中にあかりはココアを飲み干すと、カップを流しに運んだ。そして自分の部屋にあがろうと階段へ向かうと、母が追いかけてきて、新しい写真の加わったアルバムを差し出した。
「これ、できたから、持ってあがってちょうだい」
 お母さんたちのアルバムなんだから、別に私の部屋に置かなくてもいいんじゃないのと思いながらも、渡されたアルバムをもって部屋に戻る。そして、他のアルバムが並ぶ棚にそれを収めようとして、あかりは手を止めた。そのままそれを床に置くと、棚から他のアルバムを数冊出し、その隣に並べて開いていく。

 幼稚園の入園式。あのときヒカルは(あかりもだが)、入園式が何なのかもわかっていなくて、写真を撮るためにじっとさせておくのに苦労した、とかいう話を聞いたことがあったような気がする。
 小学校の入学式。このころはさすがに入学式の意味も、記念撮影の意味もわかっているヒカルは、びしっと気をつけの姿勢で写っている。ただ、このころも小柄だったあかりと、さらに小さかったヒカルは、ランドセルに抱かれているような格好になってしまっていて、どうにもしまらない。
 中学校の入学式。ぶかぶかの学生服で、少し不機嫌そうな顔をして、あかりと並んでいるヒカル。幼なじみの女の子と一緒に写真に写るのが、気恥ずかしかったのだと思う。でも、きっとあかりの両親に遠慮して、写りたくないとは言わないでくれたのだ。
 そして高校の入学式。

 校門前で少し赤い顔をして一人で写っているあかり。
 写真の中にいないヒカル。

 並んで写らなくなった二人。それは、二人の進む道が分かれたということ。
 ヒカルは小学校のときに始めた碁を今でも続けている。すぐに飽きるんじゃないかという回りの予想をくつがえして、今では立派にプロになった。高校への進学もせず、真剣に碁にうちこんで、これからもずっとうちこんでいくのだろう。
 あかりもそう。これから高校でいろんな経験をして、多分大学にも行って、自分の進む道を見つけて歩いていくのだ。ヒカルとは違う、あかり自身の道を。
 それはきっと大人になるということ。二人が確かに成長しているという証。
 だから、物足りないと父も言ったこの写真は悲しいものなんかじゃない。二人で写らなくなったことは、悲しむようなことなんかじゃない。
 ただ、寂しいだけ。ほんの少し、寂しい、だけ。
 あかりは写真に指を落とし、自分の隣、自分より少し高くなった頭の位置から、今は写らないその人影をなぞった。

終わり

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