エール

 四角い部屋を丸く掃くというのは、ずぼらな掃除の仕方をさす、昔からの言い回しだが、少なくともあかりの掃除にはあてはまらない。掃除機のノズルの先を付け替えてすみずみまで丁寧にほこりをとっていく。
「うん、こんなもんだよね」
 部屋を見回して、自分の仕事の成果に満足そうににっこりと笑う、が、壁にかかった時計がさしている時刻に気付いて、その笑顔が凍った。
 もうこんな時間と小さくつぶやき、掃除機を放り出してテレビの前に座り、スイッチを入れる。チャンネルをあわせて碁盤と碁石がくるくると回っている画面が映し出されると、あかりはほっと息をついた。
新しいビデオテープをデッキにいれて、標準で録画を始める。オープニングが少しばかり切れてしまったけれど、まあそれくらいはいい。きっと許してもらえるだろうし、よしとしよう。まだ彼の出番まで間があるようだから、先ほど放り出してきた掃除機を片付けてこなくては。
 掃除機をいつもの場所にしまいながら、あかりはくすりと笑みをこぼした。彼が初めてテレビにでたとき、彼の対局が初めてテレビで放映されたときのことを思い出したのだ。
 絶対見るからねと、彼の家まで言いに行った自分に、赤い顔をして絶対見るなと大声を出した彼。そのくせ、放映後すぐに家を訪ねてきた。録っただろ、とそう言って。家では両親がうっとうしくて見れないからと、やはり赤い顔をして。そしてあかりは彼と並んで、彼女にとっては5回目になるビデオ観賞をしたのだった。
 掃除機を片付け終えて、改めてテレビの前に座る。テレビの中では対局者の紹介が始まっていて、彼のややこわばった顔が映っていた。初めてのテレビ放映からもうずいぶんと経つというのに、まだ慣れないらしい。しかしそれも、対局が始まるまでのこと。対局中は碁以外のことは頭から消えて、「碁打ち」の顔になる。その表情の変わる瞬間が、あかりはとても好きだった。
 ビデオデッキの録画中のランプがついていることを確かめてあかりが座りなおすと、玄関のドアの開く音がした。
「ただいま」
 声の後に、ガサガサと荷物を下ろす音。
 パタパタとスリッパの音をさせて、あかりは玄関まで迎えに出た。
「おかえりなさい」
「おそくなっちゃって、ごめんなさいね」
スーパーのレジが混んでたのと言いつつ、靴をぬいでいる。
「もう、ヒカルの対局、始まっちゃったかしら」
「ちょうど今始まるところですよ」
 心配そうに首をかしげながらの問いに、あかりはスーパーの袋をいくつか持ち上げながら明るく答えた。
 半分ずつ袋を下げて二人で台所へ向かい、手早く食品を冷蔵庫に収めると、並んでテレビの前に座る。テレビの中では先手のヒカルが最初の一手を打っていた。
「じゃ、今日も解説よろしくね、あかりちゃん」
「はい、お義母さん」
 何度説明しても碁が覚えられない義母に、笑顔でうけあう。視線をテレビに戻すと、しっかり「碁打ち」の顔をしたヒカルが映った。
 今日の晩御飯は、ヒカルの好きな特製ハンバーグだよ。がんばってね。
 そうしてあかりは、いつものようにテレビごしの応援をした。

終わり

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