それを知る人

「譲くん、お買い物につきあってくれないかな」
「ええ、いいですよ」

 望美からの依頼に、譲は一も二もなくうなずいた。デートの相手というより荷物持ちとして選ばれたのかもしれないが、譲はその役目だって喜んで引き受けるつもりだった。

「何を買うんですか?」
「化粧品」
「化粧品、ですか」

 意外な返事に譲は首をかしげた。
 望美が化粧品を買うのが意外なわけではない。今時の女の子らしく、望美も結構おしゃれだ。ただ、化粧品は重くもなければかさばることもないのだから、荷物持ちが必要だとは思えない。それなのに、自分を連れて行くのが不思議だったのだ。もちろん、必要なくても譲はお伴する気であったのだが。

「ほら、そろそろ就職活動しなくちゃいけないから、口紅とかちゃんと揃えようかなって」
「ああ、もうそんな時期ですね」

 何気ない様子で返事をしながら、譲の心は少し沈んだ。
 望美は就職活動を始めなければならない時期だが、譲はまだそうではない。どうしても縮まらないその距離が、今でももどかしく、恨めしいのだ。望美は誰よりも自分の近くにいてくれるのだし、離れていくことはないと信じてもいるのだが、これはもう譲の習い性のようなものでどうしようもない。
 こんな不安を感じるのは望美に対して失礼だとわかっているので、表に出すようなことはしないが、その分内側で思うようにならないのが恋心というものである。両思いになったからといって、その複雑な構造が変わるわけではない。

「それで、どうして俺を誘ってくれたんですか?」

 沈みそうな気分を振り払うように、譲はとりあえず話題を変えた。もっと他に適当なことを言えばよかったのかもしれないが、物思いにとらわれそうになった譲にはとっさには何も思いつくことができず、先ほどの疑問をそのままぶつける形になってしまった。しかし特に不自然な流れにはならなかったので、譲は密かに胸をなで下ろした。

「就職活動って、面接があるじゃない?」
「あるでしょうね」
「面接ってやっぱり、外見の印象も大事だと思うの」
「そう、ですね」

 譲は再び首をかしげた。
 元々それほど拘っていた疑問ではなく、明確な回答を求めていたわけでもない。けれどこの会話の流れがどう自分の質問に結びつくのか、よくわからなくてもやもやする。
 けれどその疑問もすぐに解消された。望美は確かに譲の質問に答えていたのだ。

「だから譲くんに選んでもらおうかなって」
「選ぶ? 俺が、ですか?」

 化粧品のことなど自分にはわからないのにと、三度首をかしげた譲の前で望美は華やかに笑い、譲の疑問に対する明確な回答を述べた。

 

「うん。私に似合う色をね。だって私のことを一番よく知っているのは譲くんでしょう?」

 

 そしてその日、それはそれは幸せそうな様子で口紅を選ぶカップルが、とある店の化粧品売り場にいたらしい。

終わり / 遥か部屋に戻る