おいてきぼりのクリスマス

 焼き上がり粗熱をとった状態のスポンジの隣には、まだ温かいチョコムースの入った片手鍋。その隣にはさっき泡立てたメレンゲ。そして譲の手の中のボウルには、今まさに泡立て中の生クリームがある。
 その生クリームの具合を確かめながら、譲は今日何度目かのため息をついた。

 クリスマスパーティーはどちらかの家を会場に両家合同で、というのは、物心ついたころから続いている習慣だ。今年は望美の家が会場となった。望美の家では二人の主婦が、今日のごちそうの準備にかかっている。
 会場とならなかった家では子供達がケーキ作りをするというのも、その習慣が始まったときからの恒例となっている。元々それを始めたのは祖母だった。将臣と望美と一緒に三人で、出来上がっていくケーキとそれを作る祖母の回りにまとわりついていたのを覚えている。自分たちは手伝っているつもりだったけれど、祖母にしてみれば邪魔でしかなかったんじゃないだろうか。今の譲ならそう思うが、記憶の中の祖母はいつも優しく笑っていた。
 祖母が亡くなってからのケーキ作りは、本当に子供三人の仕事になった。ケーキ作りといっても最初は出来合のスポンジに飾り付けをするだけのものだったのだが、三人の――主に譲の成長に伴ってそれは次第に本格的になり、今では全てを手作りする。譲の作れるケーキの種類も十以上を数え、作るときにレシピを手元に置く必要すらなくなった。
 今年はイチゴと生クリームを飾ったチョコムースケーキにするつもりだ。将臣は甘すぎると文句を言うだろうが、望美は喜んでくれるはずだ。

 二枚にスライスしたスポンジにシロップを塗り、一枚を型にしく。そしていい状態になった生クリームとメレンゲ、チョコムースを混ぜ合わせたものを、半分だけ型の中に流し入れる。その上にもう一枚のスポンジを載せ、最後に残りのムースを流し込んで冷蔵庫へ。

 冷蔵庫の扉を閉めて、譲はまたため息をついた。
 ケーキ作りは子供三人の仕事だった。三人といっても、ずいぶん前から作業をするのは譲と望美の二人で、将臣は味見専門のスタッフとなっていたのだが、それでも三人そろってキッチンに入っていたのだ。去年までは。
 けれど今、ケーキ作りにとりくんでいるのは譲一人だった。二人はパーティーの飾り付けに使うものなどを買い出しに出かけてしまったからだ。
「じゃあ、ケーキはよろしくね、譲くん」
 笑顔で手を振って出かけた人に、譲も笑顔でいってらっしゃいと言ったのだが、本当は泣きたい気分だった。
「俺は荷物持ちかよ」
 そうぼやきながらも一緒に出て行く将臣の背中を蹴り飛ばしてやりたいくらいに、悔しかった。
 去年まではケーキ作りも買い出しも三人一緒だった。それが今回こんな風に分かれてしまったのは、一つという年齢差がまたも譲の前に立ちはだかったからだ。
 例年の買い出しは近所のスーパーや商店街など歩いていける範囲で済ませていた。それが今年は素敵なお店を見つけたとかで、学校の近くまで出かけると望美が言い出したのだ。この場合の学校とは望美と将臣の通う高校を指す。そこまでは電車を使わなければ行けないが、二人は当然通学に使う定期券を持っている。けれど、いまだ中学生の譲にはない。
 それで、買い出しは望美と将臣で行ってくるからケーキは譲が仕上げておいてくれと、そう望美に言われてしまったのだ。
 電車賃くらい譲のお小遣いでだって払える。だから一緒に行くと主張してもよかったのだが、譲には言えなかった。定期のない譲に留守番を言い渡したのは、譲の心にそうものではないとはいえ、一応望美なりの心遣いなのだろうし、それを無下にすることは出来なかったのだ。

 まだ幼稚園に通っていた頃、小学校へ行く二人が羨ましくて、自分にもランドセルを買えと駄々をこね、親と二人を困らせた。今でもあんなふうに振る舞うことが出来れば楽になれるんだろうか。

 飾り付け用のイチゴのへたをとりながら、今頃二人はどうしているのかとそればかりが頭を巡る。
 それでも一応、スポンジが焼き上がる頃までは二人とも一緒にいてくれたので、譲はまさかおいてきぼりにされるとは思ってもいなかった。オーブンの中で色づいていくスポンジを望美とのぞき込んでいたその時まで一緒にいたのに、そこから二人が買い物に出かけるなんて思いもしなかった。もうとっくに飾り付けの買い物なんて、終わっていると思っていたのに。
「譲くん、今年はどんなケーキにするの?」
 オーブンのタイマーがそろろそ切れるかという頃、望美がそう尋ねてきたので、譲はチョコムースケーキですよと答えようとした。ところが声に出して言うことはできなかった。譲が口を開く前に、望美が跳び上がって大声を上げたからだ。
「そうだ! 買い物に行かなくちゃ!」
 そうして譲の答えを聞かないままに、ばたばたと二人は出かけていってしまったのだ。
 二人が出かけてからまだ半時間とたっていない。望美の買い物に時間がかかるのは長いつきあいでよく知っている。たぶん戻るのはムースが固まる頃だ。それまでこうして一人で座っているのも馬鹿らしい。帰ってきたら一緒に飾り付けをすればいい。
 イチゴの入ったボウルをしまうと、大きめの音を立てて冷蔵庫の扉を閉める。そうして譲は一度自分の部屋に戻った。


 けれど結局譲は一人でケーキを仕上げることになった。
 買い物に時間がかかったので直接会場である望美の家に帰る。飾り付けや他の準備はやっておくからケーキはよろしくと、そんな残酷な電話が望美からかかってきたのだ。
 半ばやけくそ気味に譲は生クリームを火にかけ、チョコレートを投げ入れた。チョコムースに直接生クリームを飾ったケーキにするつもりだったのだが、こうなったらとことんケーキに時間をかけてやるとそんな気分になっていた。
 すっかりケーキ作りが板についてしまった譲だったが、別にケーキ作り自体が好きなわけではなかった。一緒に作るから楽しいのだ。よろしくねと言われても、嬉しいわけがない。甘さたっぷりのケーキの前で譲の気分はどこまでも苦々しかった。 

 チョコレートが溶けると粗熱をとるために濡らした布巾の上に鍋を載せる。ある程度冷めると、今度はそれを固まったチョコムースの上にかける。
 譲は黙々と作業を続けていった。自分の状況はひたすら面白くなかったが、それでもケーキ作りを放り出すわけにはいかない。
 慎重にチョコのかかったケーキの表面を整える。
 ゆっくりとゴムべらを動かす譲だったが、本当は、こんなふうに丁寧かつ慎重に作業を進める時間はあまり残っていなかった。ケーキが仕上がる頃には多分パーティーの開始時間を過ぎてしまう。
 けれど、大急ぎでケーキを仕上げて会場に向かう気にはなれなかった。きっと不機嫌が全身からこぼれてしまうだろう。望美が楽しみにしているパーティーを、どんな形であれ台無しにしたくはなかった。どうにか気分を整えるまで時間を稼ぐ必要があった。

 生クリームをしぼりだし、イチゴの配置を終える。一応これで完成なのだが、譲は首をひねった。まだ何か足りないような気がする。
 数瞬考え込んで、戸棚に向かう。別のお菓子を作るときに買ったシュガーパウダーを出してくると、譲はそれをケーキの上に振るった。
 褐色のチョコレートの大地に、生クリームとシュガーパウダーの雪がつもり、イチゴの灯りがともる。そんなイメージに仕上がったことに満足の吐息をこぼす。
 目の前のケーキに集中したことで、なんとか気分も落ち着いてきた。今なら笑顔を作ることが出来そうだ。
 箱につめたケーキを持って近所の望美の家へ向かうと、玄関の前に人影が見えた。
「あ、譲くん。こっちこっち」
 こっちこっちと促されなくても、方向を間違うはずはないのだが、望美は大きく手を振って譲を呼んだ。
「遅かったね、やっぱり一人じゃ大変だった? 任せちゃって悪かったかな」
 辿りついた譲に向かって申し訳なさそうに手を合わせる望美に、譲は首を振った。
「いえ、単に飾り付けに迷っただけなんです。遅くなってすみませんでした」
「ううん。まだ始まってないから大丈夫だよ」
 笑う望美にケーキを下げていない手を引かれて家に入ると、将臣はすでにテーブルについていた。譲を見ると「腹へった」と一言寄越した。遅いという文句の代わりなのだろうが、譲はそれには答えずに望美の母にケーキの箱を預けると、自分の席に着いた。

 パーティーはいつも通りにぎやかに始まって、にぎやかに進行した。パーティといっても、二家族合同の食事会というだけなのだが、10年以上のつきあいが子供同士だけではなく親同士にもあるのだから、気がおけないおしゃべりだけでも充分盛り上がる。譲はあまり口を開かなかったが、回りの会話に合わせて笑うことは忘れないように気をつけた。
 おいてきぼりを食った不機嫌はここに来るまでに充分解消してきたつもりだったのだが、ここに来てそれがまた胸の奥からしみ出してきていた。
 何しろ、会場の飾り付けは望美と将臣の合作なのだ。合作と言うほど兄の手は入っていないかもしれないが、使われているものは二人で買ってきたものだ。毎年使っているものももちろんあるが、見慣れないものがいくつも増えている。それらが目に入るたびに、自分の表情が固まらないようにするのは随分と骨の折れる仕事だった。
 それでもパーティーは佳境に入り、いよいよ譲苦心の作であるケーキの登場となった。
 望美の母が冷蔵庫からケーキの箱を取り出し、テーブルの真ん中に置くと、望美は椅子から立ち上がった。
「ね、譲くん、わたしが開けてもいいかな?」
「ええ。どうぞ」
 自分で開けるのだ、自分が切り分けるのだと主張したくなるほど、譲はケーキに執着も拘りもないこともあり、望美の言葉に譲は即座にうなずいた。
 箱の側面に両手を添えて、望美はそっと蓋を持ち上げた。そしてケーキを見たその目が大きく丸くなった。
「わあ! すごーい。おいしそう!」
 箱を持ったまま飛び跳ねそうな勢いで、望美が歓声を上げた。
「譲くん、とっても素敵なケーキだね! ありがとう」
「気に入りましたか?」
 色々と面白くないことがあったが、この笑顔が見られたならそれに耐えた甲斐もあったというものだ。譲の表情もゆるんだ。

「うん、とっても。やっぱり譲くんに任せてよかったー」

「え?」
 やっぱり? 望美の言葉の一部を聞きとがめ、譲が眉を寄せた。と、望美もそれに気づいたらしく、慌てたように首を振った。
「あ、なんでもないよ。それより、早く食べようよ」
 望美の態度にますます不審を募らせた譲がすぐにはうなずけないでいると、それまで黙って聞いていた将臣がぷっと吹き出した。
「あのな、譲」
「将臣くん、だめだよ!」
 箱の蓋を振り回して制止した望美にかまわず、将臣は譲に向かって口の端を上げて続きを言った。
「こいつ、どんなケーキが出てくるのか楽しみにしたいから、ケーキ作りは譲に任すって言ったんだぜ?」
「え?」
「将臣くん!」
 眉を上げて驚く譲と赤い顔をして怒った声をあげる望美を、将臣は交互に見やって肩をすくめた。
「だから抜け出す口実に買い物につきあえって、俺に言ったくせに、すっかり忘れて一緒にケーキ作り始めるし、ほんとしょーがねーよな」
「もう! 言わないでって言ったのに」
 将臣が肩を震わせているものだから、望美はすっかりむくれて頬をふくらませている。譲はあきれればいいのか、笑えばいいのか、態度を決められないまま疑問を口にした。
「それなら、そうと言ってくれればよかったのに」
 ケーキは楽しみにとっておきたいから一人で作ってくれと、最初からそう言ってくれれば、譲もあんな思いをしなくても済んだはずだ。そう思うとどうしても口調が恨めしげなものになってしまう。
「だって」
 まだ蓋を抱えたまま望美は頬を赤らめて目を伏せた。
「ケーキをそんなに楽しみにしてるって、高校生にもなって子供っぽいし、それにものすごい食いしん坊みたいで、ちょっと恥ずかしいかなって」
「そんなこと……」
 ないですよ、または、気にしなくてもいいのにと、譲はそう言おうとしたのだが、そこは将臣が混ぜ返す方が早かった。
「お前が食い意地はってるのなんて、俺も譲もよく知ってるんだし、今さらだろ?」
「将臣くん!」
「おまっ、その蓋でなぐるのはやめろ」
「知らない!」
 目の前でじゃれあう二人を前に、譲は笑った。今度は無理をしなくても笑いがこぼれてくる。おいてきぼりにされたという事実は変わらないが、それが望美の自分に対する期待からくるものだったのだと分かってしまえば、それはもう心をきしませることではなくなった。
 一騒動の後でようやくみんなの口に入ったケーキは、見た目だけではなく味でも充分望美の期待に応えることができたようだった。

「来年も楽しみにしているね、譲くん」
「はい、期待していて下さい」

 子供三人の仕事だったケーキ作りは、どうやら譲一人の仕事となってしまったようだ。
 けれど、それも悪くはないかと、譲は食後のコーヒーを飲み干した。

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