ただいまを言う場所

 彼女が疲れていることはわかっていた。
 元々馬鹿がつくほど真面目で融通も加減も利かない性格だ。二つの世界の親善大使という役目に全力で立ち向かっていることは想像するまでもなかったし、疲れているからといって上手に休んだりもしないだろうということもまた、確かめるまでもないことだった。
 そもそも彼女にその役目を担わせたのは自分なのだ。それがどれほど難しい仕事なのか、それもまたよく理解しているつもりだった。
 だから久しぶりに会った彼女の顔色が良くなかったことも、少しやせていたことも、半ば以上予想通りだったのだが、それは当然ゼロスを楽しませはしなかった。
 けれどゼロスの口から出たのは陽気な挨拶だった。
「よーうしいな。不景気な顔してんなぁ。そんな顔してっとあっという間に老けちまうぞ〜?」
 片手を上げてにやにやと軽薄な笑いをはりつけて、語尾を上げたふざけた口調でからかいの言葉を投げる。すると彼女からは勢いのいい啖呵と鉄拳が飛んでくるのだ。
 いつもならば。
 けれど今日のしいなはそのどちらも発することなく、ゼロスをまじまじ見つめてきた。
「な、なんだよ?」
 いつもと違う彼女の様子に、ゼロスの軽口も回転が狂ってしまう。思わず後ろに下がったゼロスの様子に気づいたのかどうか、やがてしいなは肩をすくめて苦笑をもらした。
「相変わらずだねえ、あんたは」
「お、おお。俺様はいつも優雅で気品あふれる色男だぜ?」
 やはりまだ調子がもどらない。後半どもらなかったのがせめてものというところか。
 しいなの方はゼロスの軽口が不調でも特に気にしなかったようだ。なに言ってんだかとあきれたようにこぼした後で、苦笑の続くその口を開いたしいなはごく自然にそれを言ってのけた。

「あんたを見るとテセアラに帰ってきたって気がするよ」

 あんたのアホな物言いで肩の力が抜けるなんて、あたしもヤキが回ったねーとしいなの言葉はまだ続いていたが、ゼロスはあまり聞いてはいなかった。
 それどころではなかったのだ。
 困る。こういう不意打ちは非常に困る。
 まだ口の調子も戻っていないのに、どこまでもゆるんでしまいそうな顔をどうすればいいというのか。もしかしたら頬が赤く染まってさえいるのかもしれない。片手で覆った自分の顔がいつもよりずっと熱いように感じたので、ゼロスはいっそ頭を抱えてしゃがみこんでしまいたい気分だった。
「何やってんだい、あんた」
 さすがにゼロスの妙な動きを不審に思ったらしい。しいなが眉をひそめてこちらを伺っていた。とてつもなく鈍感な彼女にゼロスの心境がよめるとは思えなかったが、ゼロスは大仰な身振りと芝居がかった声をあげることでその場をごまかすことにした。
「いや〜俺様、ちょーっと照れちゃったのよ〜」
「は? 照れる?」
「だって、しいなさんてば、俺様がいなくちゃ夜も明けないなんて、そんな熱烈な愛の告白をくれちゃうんだもんよ〜。俺様嬉しくなっちゃってぇ〜」
「誰がそんなこと言ったんだい!!」
 今度こそ飛んできた怒号と鉄拳をひらりとかわしながら、ゼロスはいまだゆるんだままの口元をしいなの視界から隠した。
 ふざけた口調ではあったが語ったその内容に嘘はない。けれどそれはまだ彼女にはわからなくてもいいと、そうゼロスは思った。

終わり

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