泣く子には勝てぬ

「ティアさんはご主人様のことが嫌いなんですの?」
「え!?」
「ご主人様が寂しそうでしたの。ティアさんに嫌われたみたいだってしょんぼりしてたですの」
「そんな」
「ティアさんは、ご主人様を嫌いになってしまわれたんですの?」

 まあるいつぶらな、けれど真摯な瞳で見上げられ、ティアはうろたえた。
 かわいいものが大好きなティアにとって、チーグルの仔である彼との会話はいつだって楽しいものだった。何かを言うたびに、大きな耳や小さな手足が動くのを見ているだけで心が弾む。けれど今回ばかりは回答に窮した。
 いつもは立ち上がってゆらゆら揺れているふわふわの耳を、今はくたりと垂らしてミュウはうつむいている。ご主人大事のミュウがそんな質問をするに至ったその原因に心当たりがないわけではなかった。
 近頃彼の大好きなご主人様と目を合わせていないのだ、自分は。
 あれほど帰ってきて欲しいと願った相手なのに、会話が少ない。
 もちろん、戻ってきてくれたその直後はたくさん顔を合わせて話をしたのだが、一通り離れていた間のことを話し尽くしてしまうと、急に何を話せばいいのかわからなくなってしまったのだ。
 話題が見つからなければ、二人で居るときに間に流れる物は沈黙しかない。向こうから何かを言ってくれればいいのに、そっちだって何かを言いたそうな顔をしているくせに、口を開かずにじっと自分を見つめてくるだけなのだ。
 居心地が悪い。
「嫌いなんですの?」
「……」
 とうとう最近では姿を見かけるたびに、反射的に隠れてしまうまでになっている。そんな態度を取っている以上、そんな問いを向けられても仕方がない。
 けれど、確かに二人でいると何かいたたまれない気分になってくるのだけど、でも、それは、決して。
「やっぱり本当に嫌いになってしまったんですの……」
 いつまでもティアが答えないので、ミュウは一人で結論に達してしまった。しゅんと小さくなってうつむいている。そんなふうにされてしまうと、自分よりずっと低い位置にある彼の顔の表情は全く見えないのだが、そこから小さなしずくが床にぱたりと落ちたことはわかった。それを見たティアの胸がきゅうっとしぼりあげられる。
 ものすごくひどいことをしているような気分になって、ティアは慌てて口を開いた。
「そ、そんなことないわ」
「本当ですの?」
 いつもの位置に戻った瞳はやはり濡れていて、ティアは痛む胸を押さえ、安心させるように強くうなずいてみせた。
「じゃあ、好きですの?」
「ええ、好きよ」
 もう一つうなずきながらきっぱりと答える。それはミュウを泣きやませるための方便ではない。今の自分の態度は冷たく見えるのかもしれないが、本当に嫌いになったわけじゃなかった。
「本当ですの?」
「ええ、もちろん。私、ルークのこと大好きよ」
 明るさのもどってきたミュウの表情にティアの顔もゆるむ。嬉しそうに念を押すミュウに合わせるようにティアも微笑んで答えたのだが、次の瞬間彼女は凍り付いた。
「よかったですの! ねえ、ご主人様!」
 飛び跳ねて喜びを表現するミュウが、ティアの背後の空間に向かってそう言ったからだ。
 振り向きたくはなかったが、振り向かないでもいられなかった。
 固い体を動かしてなんとか後ろへ振り向いてみると、そこには今二人で話題にしていたミュウの最愛のご主人様の姿があった。
「いや、その。二人の声が聞こえたから……」
 詰まりながらの言葉は、おそらく、立ち聞きしようとしたわけじゃないとそう弁解がしたいのだろう。しかし弁解などされなくとも、ティアには叱りつける余裕など、どこにもなかった。
 見れば立ち聞きの主の顔はその燃えるような髪との境がわからなくなるほど、しっかりと染まってしまっている。そのためにうろうろと視線をさまよわせる緑の瞳がくっきりとよく目立っている。
 が、それでも自分よりはまだましな状態なのだろうとティアは思った。髪にまぎれて頬の色は目立たないと言えないことはない。
 けれどティアの髪の色では、この熱い頬に今昇っている色をけっして隠してはくれないだろう。長いので、うつむいてしまえば相手の視線を遮ってこの表情を隠してくれるのはありがたいけれど。

「じゃあ、お二人とも、仲良くして下さいですのー!」
 弾んだ声と足取りで、ミュウが二人を残して行ってしまった後も、赤い赤い顔二つは長い間お互いを正面から見ることができずに、それぞれあさってを向いていた。

終わり

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