距離

 木枯らしがカタカタと窓をならして通りすぎる。
 その音にこれでザールブルグの冬は何度目になるだろうかと頭の中で指を折る。答えが出ると、エリーはあたためてあったカップにお茶をそそいだ。
 今日のチーズケーキは甘味の強いブレンドを試したので、お茶はさっぱりとした風味のものを選んだ。その分香りがしっかりとでるようにいれたつもり。
 並んだ二つのカップから立ち上ってくるそれは充分に満足のいくものだった。
 切り分けたケーキとカップを二つずつトレイにのせてテーブルへと運ぶと、カップを並べる前にお客から柔らかい声がかかった。
「エリー、今日のお茶は一段といい香りだね。エリーが作ったの?」
 いつもの席からのノルディスの笑顔に、エリーは小さく舌を出してみせた。
「えへへ、そうだったらすごいんだけどね。これもアイゼルからもらったものなんだ」
 自分でも作れるといいんだけどね、と肩をすくめながらカップとケーキを並べ、ノルディスの向かいの自分のいすに腰を下ろす。
 アイゼルは貴族という家柄のせいか、はたまたもともとそういう性格なのか、いろいろな面で趣味がよく、またいろんなことにうるさかった。お茶もそのうちの一つで、エリーの聞いたこともないようなところから聞いたこともないようなものを取り寄せてきたり、自分で作ったりもしている。それらは味も香りも一級品ばかりで、三人でのお茶会が恒例になる前からエリーはよくおすそわけをいただいていた。チーズケーキはエリーの、お茶はアイゼルの、という組み合わせはいつものことだったので、ノルディスもそう意外そうな顔はしなかった。
「そう、さすがアイゼルだね」
 そう言いながらノルディスはカップを口に運んだ。
「おいしい。エリー、お茶いれるの上手になったね」
  湯気のむこうでノルディスの笑顔がふわりとゆれる。
「えへへ、そうかな」
 エリーはそんなノルディスの笑顔から顔を隠すように両手でカップを持ち、お茶に口をつけた。
「うん、とてもおいしいよ」
 ノルディスが重ねて誉めてくれる。 
 さっき飲みこんだお茶のせいか、エリーの体がぽっと熱を持った。
「ア、アイゼルも今日来てくれるとよかったんだけど」
 そのまま体温が上がっていったら顔が真っ赤になってしまいそうな気がして、エリーは少し勢いをつけて背筋を伸ばし、大きめの声で今日は欠席となったもう一人のいつもの客のことを再度話題に出した。ノルディスはちょっと驚いたのか、軽く首をかしげてそうだねと小さく言った。
 アイゼルは数日前から家に戻っていた。なんでも実家で勝手にお見合いを設定されたのだとかで、アイゼルはたいそう憤慨していた。彼女としてはすっぽかしても良かったのだが、今後同じことをされても困るからと、今回は帰ってはっきり断ってくるのだとも言っていた。
「お見合いなんてびっくりだよね」
 顔と視線を少し上に向けてエリーはそのときのことを思い出した。まだまだ研究したりないことがあるのに結婚なんてとんでもないと、鼻息も荒く主張していた親友の顔が天井に浮かぶ。
「貴族の人達の結婚は早いのが普通だからね、アイゼルのご両親も心配されているんじゃないかな」
「そうなの?」
「僕達の年頃の人だと、たいてい結婚しているか、婚約者がいるみたいだね」
「へえー」
 庶民中の庶民で、しかもそこに田舎者というおまけまでつくエリーにはどこまでも遠い世界。同じ年頃の人の話と言われても、すぐには我が身に重ねて考えられない。「お嫁さん」という言葉に憧れはあっても現実味や実感はそこになくて、エリーの相づちは自然熱のこもらないものとなる。
「結婚なんてぴんとこないなあ」
 ため息に近い感想をもらすと、ノルディスは少し笑って言った。
「そう? 僕は考えるけど」
「ええ?!」
 意外な言葉に驚いてエリーは大きな声をあげてしまった。ノルディスの口から出ると結婚という言葉が急に近くに来たような気がして、エリーは知らずテーブルの上にのせた手をにぎっていた。目も口も大きく開いている。
 そんなエリーを見てくすりと笑うと、ノルディスは続きを話し始めた。
「別に、今すぐ結婚しようっていうわけじゃないよ。ただ、錬金術を極めて医者として人の役に立つっていうのとはまた別にね」
 まだ温かいカップから湯気があがる。その向こうに変わらずノルディスの穏やかな表情があった。
「結婚して、子どもができて。大切な人と温かい家庭を築く。錬金術のこととは別にそういう未来もまた考えるってそういうことだよ」
 結婚して、子どもができて、温かい家庭を築く。ノルディスならきっとできるだろう。彼のそばはいつも温かい。きっといつもエリーにしてくれているように、子ども達に笑いかけるのだろう。そして穏やかに話を聞いてあげるのだろう。そしてその傍には彼の選んだ大切な人がいて。
 一瞬頭をよぎった彼の傍らにいる人の顔にエリーの鼓動が大きく跳ねた。それを振り払うように勢いよく頭を左右にふる。そしてカップのお茶を飲み干した。
「エリー?」
 突然のエリーの不審な行動に、さすがにノルディスも眉をひそめ怪訝そうに問いかけてきた。
「あはは、何でもないよ」
 自分自身にも説明出来ない行動の訳をノルディスに話せるはずもなく、とりあえずエリーは笑ってみせた。二杯目のお茶をとポットに手をかけ、早口でしゃべりだす。
「ノルディスだったらきっといいお父さんになるよ。うん、絶対素敵な家族が作れると思うな」
 するとノルディスは表情を改めた。静かにカップを置くとまっすぐエリーの目を見て、いつもの口調に少しだけ何かを加えた声でゆっくりと言った。
「じゃあ、エリーもまざる?」
「え?」
「一緒に作ってくれる?」
「ええっ?」
 さっきよりも、もっとずっと大きく開いたエリーの目と口に、ノルディスは表情をゆるめた。
「僕はエリーがいいよ」
 優しい笑顔と一緒にふわりと自分を包んだ言葉に力が抜けて、持っていたティーポットがするりとその手からこぼれた。
「エリー!」
「あっつ」
 テーブルに転がったポットから残っていたお茶が流れ出す。足の上に感じた熱さにとび退くと、ポットがテーブルから転げ落ちた。
「ああっ」
 かろうじてそれを受け止め、床でポットが砕け散るのは阻止した。安堵の息をつくとノルディスの手がポットを取り上げた。
「エリー、火傷しなかった?」
「え? ああうん、大丈夫、かな」
 見下ろすと服にこぼれたお茶が丸くしみを作っていた。あわてて前裾を持ち上げるが、幸いタイツまではそう濡れていなくて、多少熱さは感じたものの火傷まではいたらなかったようだ。
「ここはいいから、早く着替えておいで」
 もう一度安堵の息をついていたエリーに、テーブルにこぼれたお茶を拭きながらノルディスがそう促した。
「お茶がこぼれたところは大丈夫そうでもちゃんと冷やさないとだめだよ。それに服もね。お茶のシミはとれにくいから、早く洗った方がいい」
「え、でも」
 お客様のノルディスに自分の粗相の始末をさせるのは気が引けてエリーはためらったのだが、ノルディスはそんなエリーを軽くにらむとエリーの背を押した。
「いいから。ここは僕がやるよ。早く冷やしておいで」
「うん、ありがとう」
「気にしないでいいよ」
 そう言いながら笑ってテーブルを拭きにもどったノルディスの背中を、何度も振り返りながらエリーは寝室に入った。
 ベッドの上に脱いだ服とタイツを放り出す。足の方はほんの少し赤くなっているだけで痛みもなく、冷やす必要はないように思えたが、エリーはノルディスの忠告通り水で濡らした布を足にあてた。
 ふと鏡を見ると、これ以上ないというくらい赤くなっている自分の顔がうつった。
 あのとき、ノルディスが築いていくだろう温かい家庭を思い浮かべたときに、彼の隣で笑っていた顔だ。
 結婚なんてとてもとても遠い言葉だったけれど、今の自分にとってどんな距離にあるのかは、鏡の中の自分がよく知っているように思えた。
 だからエリーは赤くほてった頬に手をあてると、鏡に向かって、さっきすぐには言えなかった返事をした。
「私もノルディスがいいな」

終わり

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