だからの笑顔

 待ち合わせをするとわかることがある。
 待つ側になっても、待たせてしまった側になっても同じように思うことだ。
 わかることというより、改めて思い知ること、だろうか。

 今日の香穂子は待たせてしまった側だった。待ち合わせの時間にはまだなっていなかったのだが、待ち合わせの相手はもう来ていた。そのこと――つまり、待ち合わせの場所にもう相手が来ているということに、香穂子はすぐ気づいた。別に遅刻したわけでもないのに、なぜそれがすぐわかったのか、その原因となる事柄を思い知るのだ。

「志水くんって目立つよね」
 落ち合い目的地まで並んで歩く。その途中で香穂子は何気なくさっき思ったことを口にした。
「そう、でしょうか」
「そうだよ、絶対」
 香穂子が力説すると、志水は怪訝そうに自分の体を見回した。
「どこか、おかしいですか?」
「え、ううん。そういうことじゃないよ」
 腕を上げたり首を巡らせたり、あちこち点検し始めた志水を香穂子は慌てて止めた。
 コンクールの時の衣装はフリルや装飾の多い華やかなものだが、普段の彼の服装はごく普通だ。おかしなところなどない。
 敢えて上げるとすれば、彼の容貌と比べると普通すぎて地味だということくらいか。

 そう、結局問題になるのは彼の、まさに天使のようなと言っても過言ではない容貌なのだ。

 光に透ける明るい色の細い髪はしなやかに踊り、その髪に覆われた肌は陶器のようになめらかで透き通るように白く、頬はバラ色。大きな瞳はこぼれ落ちそうだし、それを縁取る睫毛の長いことといったら! すらりと通った鼻筋と小さな口元まで、非の打ち所のない完璧な造作。

 こんな形容って、普通おとぎ話のお姫様にしか使わないよねえ。
 十人並みを自覚する香穂子としてはため息が漏れる。
 天使と言ってもお姫様と言っても通用する容姿をもつ志水は、人混みの中にいても埋もれることがない。ただ立っているだけで目立つし、あちこちから注目されているので、自然と目に入る。さっき香穂子が志水の存在にすぐ気づくことができた、これがその理由だった。
 志水の容姿が際だって整っていることは、以前からよくわかっていることだが、学園の外それも人の多いところに出てくると改めて思い知らされるなあと、そう香穂子は思ったのだった。

「じゃあ何がいけないんでしょうか」

 香穂子の方は頭の中で一人決着がついたのだが、話をふられるだけふられて放っておかれた志水の方はそうはいかない。自分を観察するのは止めたものの、不思議そうな表情はそのままだ。
「いけなくなんてないよ」
 香穂子は再び慌てて手を振った。
「ただね、志水くんって……」
 可愛いから目立つんだよと言いかけて、香穂子は口をつぐんだ。まるで少女のような容貌をしているといっても、志水はれっきとした男の子でしかも高校生だ。可愛いなんて言われて喜ぶとは思えない。
「なんですか?」
 志水はおっとりと香穂子の答えを待っている。だが、こういうとき、志水はその穏やかな見かけに反して絶対に退かない。音楽方面に著しく偏ってはいるが、もともと好奇心も向学心も知識欲も人一倍の彼は、生じた疑問をそのままにしたりはしないのだ。
「うん、あのね」
 どう答えるべきか香穂子は困ったが、結局そのまま言うことにした。そうする以外ごまかしようがないし、答えない限りこの話題は終わらない。深く考えもせずに話を持ち出した自分のうかつさが今さらながら恨めしいがしょうがない。

「志水くんって、その、見かけが整っていてきれいだから、目立つなって。悪いとこがあるわけじゃなくて、ただそう言いたかったの」

 思いついた中で一番穏便な言葉を用いたつもりだったが、まずかっただろうか。志水が困ったように眉をよせたので、香穂子は焦った。
「あ、あの、志水くん、嫌だった?」
「いいえ、そういうわけじゃないです」
 志水が首を振ったので、とりあえず香穂子はほっと息をついた。
「ただ、そうなのかなって思っただけです。僕はそういうことはよくわからないので」
 志水は淡々とそう続けた。志水があんまりにも自分の外見に無関心なので、決着がついていたはずの香穂子の方がかえって盛り上がってしまった。そうなんだよとこぶしを握って熱く語る。

「さっきだってね、待ち合わせの場所、結構混んでいたでしょ? でも私、志水くんが先に来ていることすぐわかったんだよ」

 志水くんがきれいで目立つからだよと香穂子は勢い込んで説明すると、志水は表情を変えた。何かに思い当たったような顔だったので、わかってくれたのかと香穂子は思った。しかし、そういうわけではなかった。志水は香穂子の顔をのぞき込むと、こう言ったのだ。

「でも、僕も先輩が来たことすぐにわかりました」
「え?」
 今度は香穂子が首を傾げる番だ。
「でも、それはたまたまでしょ?」
 待っている方からすれば、自分に向かって歩いてくる人は見つけやすいはずだ。だから志水が香穂子をすぐに見つけたのだとしても不思議はないし、志水が目立つということとは別問題だ。
 そう思った香穂子はそのまま志水に伝えたのだが、志水は首を振ったのは縦にではなく横にだった。
「いいえ。先輩も目立ちます」
「目立たないよー。私なんて別に普通だし」
 香穂子は笑い飛ばしたが、志水はどこまでも大真面目に言い張った。
「そんなことはありません。先輩だって目立ちます」と。
 
 先輩からは音楽が聞こえます。
 他にどんなにたくさんの人がいたって、僕はその音楽を聞き逃したりはしません。
 さっきだって、先輩が僕に気づくより早く、僕は先輩を見つけたんです。
 先輩だって目立っています。
 いつだって、僕は先輩がどこにいるのかすぐにわかるんです。

 そういう志水の言葉の方が音楽のようだった。ゆったりと流れるように志水が語るその内容に、香穂子の方は言葉がなかった。金魚のように口をぱくぱくさせている香穂子を、志水は笑ったりしなかったが、話を止めようともしなかった。
 最後に志水はにこりと笑って結論を言った。

「だから、先輩もきれいです」

 天使の美貌に真正面からこんなことを言われて、赤くならない女の子なんているだろうか。
 香穂子は耳の先まで見事に赤く染まり、ありがとうと小さくつぶやくのがやっとだった。

終わり

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